おそらく20年後くらいに再開できると思うから。



前にも書いたと思うけれど、うちの家系は長生きで、私自身も90、100まで生きられると漠然と思っていた。どうもそれが、ちょっと違う様相を帯びてきたのだ。

先日、私の母が旅立った。享年83。

先月中頃から物が食べられなくなり入院した。検査したら誤嚥性肺炎を起こしていたらしい。それに加えて、環境変化のストレスで十二指腸潰瘍を発症。1度は胃カメラで出血を止めたものの再発し、「体力的にこれ以上の治療は難しい。いつ何が起きてもおかしくない状況です。」と医師に告げられ、コロナ禍なので普通なら面会禁止だけれども、二人までならフリーパスで面会できる状態だった。

私が慌てて帰省するも、状態は徐々に安定し、酸素マスクも外れ、幸か不幸か面会フリーパスの権限も無くなった。そして、そこの総合病院でできる治療はもうないので、見守りのできる系列病院への転院を告げられる。自分で食べることができず点滴による栄養補給なので、回復は難しく、持って2、3ヶ月だろうと言われていた矢先だった。

葬儀は家族と親戚のみで、こじんまりとしたものだったけれど、生前、花が好きだった母のために、お花をいっぱい飾りとても華やかになった。最期のお別れで私は、「まあ、20年もすれば私もそっちに行くからさ、またね。」って心の中で声をかけた。

 20年。そうなのだ。長生き家系だと思っていたが、母の享年は83。今の日本の平均寿命に満たないことに気がついたのだ。父は今月末で87歳になるし、父方の祖母は96まで生きた(祖父は戦死)ので間違いなく長生きの家系。しかし、母方の祖父は確か60代で亡くなり、祖母も享年80だった。2人とも平均寿命を全うしていない。そして、私はどちらかというと母に似ているところが多いのだ。そんなことを葬儀中につらつら考えていた私は、前出の言葉をかけることとなったのである。

 本当に悲しい時には案外泣けないものだということを知ったのは、元夫を交通事故で亡くしたときだった。そして、今回も、やっぱり淡々と通夜、告別式と過ぎて行った。葬儀中に、平均寿命の計算をしてみたり、あれ?なんか、聞いたことのないお経じゃね?とか思ってみたり。(後で確認したら、お坊さんを頼むときに宗派が少し違ってたらしい。←いい加減だね。まあ、もともと信心もないのでこういうことになる。)悲しいというよりは、気が抜けた感じ?自分を俯瞰して眺めているような、当事者ではないような、そんな感じ。

でも、一番親身になって心配してくれる母がいなくなってしまったのだなあと思うととても寂しい。そういえば、母が自分の母親を亡くした時に「お母さんがいなくなってしまうというのは、(自分が)いくつになっても寂しいものなのよ。」って言ってたなあ。私が「おばあちゃんが夢に出てきたよ。」という話をすると、母は「いいなあ。私の夢にはちっとも出てきてくれないよ。なんでかなあ。」って。

私は信心も何もないので、死んだら終わりだと思っているのだけれど、とりあえず、またの再開を楽しみにしてみることにするよ。

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